2015年3月28日土曜日

会員近著 西成彦『バイリンガルな夢と憂鬱』

西成彦『バイリンガルな夢と憂鬱』
人文書院、2014年、278頁、2800円+税

〔内容説明〕
 本書が扱うバイリンガルはエリートではない。植民地や移民、亡命の結果として、好むと好まざるとにかかわらずバイリンガルであり、あるいはそういった多言語が行き交う状況を、小説という一言語使用が原則の形式で描くという、ある種不可能な命題に挑んだ作家たちである。
 具体的には、アイヌ神謡集の知里幸恵、植民地台湾の複雑な言語状況を描いた佐藤春夫と呂赫若、「故郷」朝鮮からの引揚げ作家、金石範、李恢成ら在日作家、移民国家アメリカの日系人作家などである。とはいえ、ハーンやフォークナー、コンラッド、リービ英雄など欧米の文学の試みと比較しながら、いわゆる「在日文学」「外地文学」としてではなく、「ディアスポラ」によって特徴づけられる20世紀の世界文学として論じている。
 文学の本質に迫る批評であるとともに、ディアスポラ、とりわけアジアン・ディアスポラ研究にも貢献する、比較文学者の著者ならではの野心作。

〔著者による自作紹介〕
 「バイリンガル」という言葉が、モノリンガルな話者のなかに「希望」をかきたてるスローガンのようにして受容されている。また、日本語を母語としない「作家」たちに、その作家自身の「バイリンガル性」に重きを置く形で、脚光があたりはじめている。
 そんななかで、明治以降の日本語文学と「バイリンガルたち」の関係はどうだったか? あるいは、海外に移住した移民たちの「バイリンガリズム」は何だったか? 
 知里幸恵の『アイヌ神謡集』(1923)からジョン・オカダ『ノー・ノー・ボーイ』No-No Boy(1957)まで、「希望」ではなく、むしろ「憂鬱」をかかえこんだ「少数派バイリンガル」の経験を文学がどう拾い集めていったかを丁寧にさぐったつもりだ。
 北海道、台湾、朝鮮、日本本土、米国… それらは、いかに「バイリンガルの地」であったのか?
 そう問うことにより、地球規模で、「世界文学」の主流の座を奪わんばかりの隆盛を示している「ディアスポラの文学」とも比較が可能になってくると考えた。 「各国文学」間の「比較文学」ではない、新しい「比較文学」の形を示す。

〔目次〕
1 バイリンガルな白昼夢
2 植民地の多言語状況と小説の一言語使用
3 カンナニの言語政策
4 バイリンガル群像――中西伊之助から金石範へ
5 在日朝鮮人作家と「母語」問題――李恢成を中心に
6 「二世文学」の振幅――在日文学と日系文学をともに見て