2015年4月8日水曜日

会員近著 稲賀繁美『絵画の臨界』

稲賀繁美『絵画の臨界――近代東アジア美術史の桎梏と命運』
名古屋大学出版会、2014年、786頁、9500円+税

〔内容紹介〕
 「海賊史観」 による世界美術史に向けて——。
 近代以降の地政学的変動のなかで、絵画はいかなる役割を背負い、どのような運命に翻弄されてきたのか。浮世絵から極東モダニズム、植民地藝術、現代美術まで、「日本美術」 「東洋美術」 の揺れ動く輪郭を歴史的に見据えつつ、国境を跨ぐイメージと文化の相互作用を、その接触の臨界に立って考察する。
 『絵画の黄昏』『絵画の東方』に続く三部作の最終巻。

〔著者による自作紹介〕
 帯に「「海賊史観」による世界美術史に向けて」とある。一国ごとのnational historyは、近代国民国家による世界秩序形成に際して要請された。文学は場合によってはそうした枠組みへの批判や反抗の場を提供したのに対し、概して造形美術は国家の威信や国民意識の高揚に用立てられる傾向が顕著だった。さらに日本ならば明治以降の近代国家体制のもとで発達した美術史学や考古学といった学問分野は、こうした国家への貢献を前提として発展してきたという過去を、打ち消し難く刻印されている。そうした知的蓄積を二次元平面に圧縮した文化事象として「絵画」を取りあげ、それが国境や文化圏の臨界において、いかなる映写幕となり、そこにいかなる映像が描かれたかを検証しようとするのが、本著の試みだった、と要約できようか。「美術史の桎梏と命運」と副題に銘打った所以である。
 「海賊」とはしたがって、国境や単一文化圏の境界を横断する存在の暗喩であり、定義からして合法的領域の「狭間」で悪戯をする輩の謂となる。だがそれは、自民族中心主義的な閉域にたいする異議申し立て、という含みとは、決定的な位相差を含むはずだ。既成権力に対する叛逆という以前に、不条理な幾多の隔壁を否応なく非合法的に通過する才覚が、近代と呼ばれる世界体験には不可避の前提条件ではなかったか。従来の国別文化史は、そうした現実を抑圧し、あたかも障壁など存在せぬが如くに遣り過ごすための便法として編まれてきたようにさえ思われる。全球的globalと呼ばれる世界体制も、国民国家群の集合を前提として、その延長上に夢想された「まやかし」ではなかったか。とはいえ筆者は、海賊集団にこそ束の間にせよ理想の民主主義が実現された、などという反世界の夢想に加担するほど楽天的でもない。むしろ西側世界の地球制覇の過程に他ならぬ、この五百年の世界史が、海賊的な非合法性と表裏一体の境涯であったことに、及ばずながらも迫りたい。
 とはいえ、この著作で実現できたのは、たかだかそうした野放図な見取り図の、ほんの断片でしかない。日本美術という枠組みに、微力ながら幾つかの穴を穿ち、その内部を構成する物語の顕揚と洗練とを当然の任務とする学術の前提を、少しばかり掘り崩したにすぎない。東アジアの隣国やインド亜大陸の経験との重層を縦横に解きほぐそうにも、筆者自身の受けてきた教育や教養では、とても太刀打ちなど叶わない。そうした臨界を刊行時点で無残にも露呈している欠陥は覆い難いが、それが次世代の踏み石となれば幸いである。


〔目次〕
プロローグ 臨界は何処にあるのか —— 文化触変の地学的想像力と気象学的観測
序 章 翻訳の政治学と全球化への抵抗 —— 美術史の 「海賊史観」 と 「絵画の臨界」

  第Ⅰ部 内と外からみた日本美術
第1章 挿絵の想像力 —— 西洋舶来の書籍情報と徳川日本の視覚文化の変貌
第2章 西洋の日本美術像と日本の自画像
第3章 近代美術コレクションの形成 —— 日本美術/東洋美術の収集・展示とその逆説
第4章 「他者としての美術」 と 「美術の他者」—— 日本の美術とその臨界

  第Ⅱ部 東洋美術の越境 —— インドの岡倉覚三
第1章 岡倉覚三と 「インド美術」 の覚醒 —— 東洋美術史におけるその遺産と忘却
第2章 『東洋の理想』 と二人の女性 —— ジョセフィン・マクラウドとシスター・ニヴェディタ
第3章 シスター・ニヴェディタと岡倉覚三 —— 『母なるカーリー』 『インド生活の経緯』 を読む
第4章 タゴール、ノンドラル・ボシュと荒井寛方 —— 岡倉覚三没後の展開

  第Ⅲ部 極東モダニズムと東洋回帰
第1章 『白樺』 と同時代の世界的モダニズム
第2章 黒田重太郎と京都モダニズム
第3章 東洋のセザンヌ —— 「革命の画家」 から 「東洋の隠者」 へ
第4章 豊子愷の東洋画優位論とモダニズム

  第Ⅳ部 植民地朝鮮と 「満洲国」 をめぐる藝術
第1章 東洋美術のジレンマ —— 岡倉覚三・柳宗悦・魯迅
第2章 古蹟保存の植民地主義と植民地主義の文化遺産 —— 朝鮮総督府の政策と淺川巧
     とのあいだ
第3章 「化膿」 としての翻訳 —— 土田麦僊・金素雲・梶山季之
第4章 白頭山・承徳・ハルハ河畔 —— 「満洲国」 表象の政治地理学

  第Ⅴ部 文化政策と東西対話
第1章 ブエノス・アイレスの雪舟 —— 島崎藤村の国際ペン・クラブ参加
第2章 小松清とヴェトナム —— 仏印進駐期日本の文化政策とその余波
第3章 矢代幸雄における西洋と東洋 —— 美的対話がめざしたもの
第4章 東西葛藤のなかの詩と彫刻 —— ヨネ・ノグチからイサム・ノグチへ

終 章 歴史のなかの絵画作品の運命 —— 丸木位里・俊夫妻 《原爆の図》 再考
補論1 歴史教科書の善用と濫用 —— 教科書論争と 「視覚的読解能力」
補論2 表象による憎悪を断ち切るために —— 近年の絵画表象研究への批判的鳥瞰
あとがき